コンラッド生誕150周年記念、ロンドン大会に出席して

社本 雅信(電気通信大学名誉教授)
田中 賢司(海技大学校准教授)

 コンラッド生誕150周年を記念し、英国のジョウゼフ・コンラッド協会(The Joseph Conrad Society)は、第33回年次大会を2007年7月5日から7日の三日間にわたりロンドンで催した。初日と二日目はロンドンの北西部ハマースミスにあるThe Polish Social and Cultural Association (POSK) の建物で、三日目はロンドン郊外のグリニッジにある「国立海事博物館」でおこなわれた。協会がこの博物館を会場の一つに選んだのは、なかなか面白い趣向である。ここが海洋小説家の一面を持つコンラッドにふさわしいだけでなく、小説『密偵(The Secret Agent)』が描くグリニッジ天文台爆破未遂事件の現場とは至近距離にあること、中編小説『闇の奥(Heart of Darkness)』と短編小説「青春(Youth)」の語り手マーロウが身を置くテムズ川河口に近いからである。日本からは、“Conrad and Noteworthy Japanese(コンラッドと注目すべき日本人)”と題して、マルセーユ時代のコンラッドと接点のあったと思われる日本人に関する研究発表をした田中賢司氏と、わたくし社本雅信の両名が出席した。大会直前にロンドン市内の中心部で起きた2件の自動車爆弾によるテロ未遂事件とスコットランドのグラスゴー空港で発生した爆発物を用いたテロ未遂事件のために、英国のテロ警戒度は最高レベル5(クリティカル)に引き上げられていた。しかしながら、一歩大会の会場に足を踏み入れれば、そこはそんな剣呑な事件はどこ吹く風とばかりの熱気に満ちた別世界が待ち受けていたのである。

 大会は、60半ばという年齢を吹き飛ばすようなキース・キャラバイン(Keith Carabine)博士の大きなよく通る声での開催宣言からはじまった。彼はユネスコがコンラッド生誕150周年にちなみコンラッドの作品で取り上げられる〈個としての倫理性と人間の連帯〉を洞察した業績を称えていることを述べ、この大会に洋の東西を問わず世界各国から多くのコンラッド文学の愛好者、研究者が集まったことをよろこんだ。大会は、150周年記念にふさわしい変化に富んだ行事が企画されていた。世界各国のコンラッド研究者による充実した真剣な研究発表は言うに及ばず、コンラッド文学の傑作とされる『闇の奥』を脚色した人形劇“Out of Heart of Darkness(闇の奥から抜け出て)”、『闇の奥』を素材にした一幕物の新オペラの制作にあたり、原作の雰囲気を生かすためにどのような工夫をしたかについて作曲家タリク・オーリーガン(Tarik O’Regan)と画家・作家・オペラ台本作家・コラージュ作家など複数の顔を持つ多彩な芸術家トム・フィリップス(Tom Philips)両名による視聴覚機材を使っての臨場感あふれる解説、ジョン・H・ステープ(John H. Stape)博士が執筆刊行した最新のコンラッド伝を記念して、“On Conrad Biography as a Fine Art(芸術としてのコンラッド伝記)”と題した博士自身の講演など、盛りだくさんであった。

 初日の発表のなかでは、やはりロバート・ハンプソン(Robert Hampson)ロンドン大学教授の“Another Look at Conrad and Achebe(コンラッドとアチェベを再検証する)”が先頭を切る発表として論旨明快で印象的であった。ハンプソン教授は、1975年2月にマサチューセッツ大学でナイジェリアの作家チニュア・アチェベ(Chinua Achebe)がおこなった『闇の奥』に関する攻撃的批評を詳しく紹介し、その批評の影響で『闇の奥』の文学的価値が一時問われた状況を説明した。しかし、同時に『闇の奥』がさまざまな主題を内包する作品であることの例として、アルバート・J・ゲラード(Albert J. Guerard)の、『闇の奥』が自己探求を主題とする作品であるとする精神分析的読み方を紹介しつつ、この作品がアフリカ、アフリカ人の〈野蛮〉、〈非人間性〉を直接訴えようとしたものではないこと、さらに『闇の奥』は、コンラッドの時代にあっては、西欧人の心の奥底に潜む〈野蛮性〉に注目し西欧の植民地主義に疑問を呈する作品として、先見性と洞察力に富む小説であったことを述べて、時代を超えて読み継がれる古典であることを示唆した。

 ハンプソン教授のプレゼンテーションが終わったとき、聴衆のなかの一人の女性が「アチェベのような解釈をしたら、我々は聖書しか読めなくなるではないか」という悲痛な叫びをあげた。なぜか、この言葉が印象的に私の耳に残っている。

 初日の発表会のあと、参加希望の会員がPOSKから地下鉄でウォリック・アベニュー(Warwick Avenue)駅で下車、リトル・ベニス(Little Venice)へ向かい、The Puppet Barge Theatre(操り人形はしけ劇場)による「闇の奥から抜け出て」(開演19時)を鑑賞した。劇団の名前が示す通り、運河に浮かぶ艀(barge)が劇場である。黒ずくめの衣装をまとった人形師が、調査を志すジョウゼフ・コンラッドによるアフリカ行を、人形を使って演じたもので、効果音にしても人形の操り方にしても『闇の奥』を現代風にかなり自由にアレンジした演出であった。特に舞台自体が艀の内部である点がおもしろく、船齢130年ほどの船であることを知らされたのだったが、そう言えば確かにさび止め用の赤いペンキは、リベットの上にコテコテに塗り重ねられている。細い船体の中にぎゅうぎゅう詰めでの観劇は、狭さといい暗さといい、なかなか凝った趣向であった。観客席のあちこちには、インドネシア等で見かける人形劇のパペットがぶら下げられている。この劇の責任者である夫婦と以前同じアパートに住んでいたという観客の一人は、人形の使い方がたいへん難しいことを教えてくれた。なお、主人公のコンラッド(人形)は、ほんの少し首を傾げ少し姿勢をひねるだけで、謎めいたアフリカ体験を表しており、また彼をアフリカに導き入れる役人が、壁に政治党首(軍服を着ている)の写真を掲げているところなど、ポストコロニアルな現状も取り入れられていたのだった。詳しくは、(http://www.puppetbarge.com/)に説明が載っているので参照されたい。[この項、田中賢司氏の執筆]

 二日目の研究発表は、オウエン・ノウルズ(Owen Knowles)博士の司会で、『万策尽きて(The End of the Tether)』を論じる二つの発表からはじまった。若手研究者の発表はドイツ生まれの実存主義哲学者ハンス・ヨナス(Hans Jonas、1903-1993)の論文‘The Nobility of Sight(視覚の崇高)’に記された内容を手がかりにしてこの作品を読む試みである。すなわち、「ギリシャ哲学の時代から、視覚は五感の中で最もすぐれたものとして認められてきた。精神の最高に崇高な活動であるテオリア(theoria)はほとんど視覚領域からとられた隠喩を用いて表現される。プラトン、プラトンに次ぐ西洋哲学は、〈心の目〉とか〈理性の光〉といった言い方をする。……アリストテレスは、『形而上学(Metaphysics)』の第一巻で、あらゆる人間の本性である知識欲を知覚、なかでも視覚に対するありふれた喜びと関連づける」という考察を手がかりにした読み方である。これによって、作中の主人公ウェイリー船長の世界観、信仰、盲目になったことの意味を探究し、ひいてはコンラッドの芸術観までたぐり寄せようとしたものである。第二発表者の米国テキサス州オデッサ大学(Odessa College)所属のコンラッド研究家は、「『万策尽きて』の語りにおける現代性」と題し、小説の技巧‘delayed decoding’(種明かしを先送りする技巧)とプロットとの有機的な結びつきに注目した。

 この日はほかに『密偵(The Secret Agent)』に関する発表2編、主として長編小説『ノストローモ(Nostromo)』を取り上げ、その語り口を論じた発表2編があった。

 三日目は、第33回大会の会長を務めるローレンス・デイヴィーズ(Laurence Davies)の「コンラッドとジョン・エヴァレット(Conrad and John Everett)」と題する話から始まった。コンラッドの晩年に、回想記『海の鏡(The Mirror of the Sea)』(1906)の新版を海洋風景画家・版画家であるハーバート・バーナード・ジョン・エヴァレット(Herbert Barnard John Everett、1876-1949)の挿絵入りで出版しようとの企画が作家代理人J・B・ピンカー(J. B. Pinker)から出された。コンラッドはエヴァレットの「精緻で独創的な(accurate and imaginative)」絵画のかずかずに感動し、エヴァレットも乗り気になっていたのだが、結局、この企画は実行されずじまいであった。デイヴィーズは、コンラッド同様にエヴァレットも青年期に海に魅惑されて筋金入りの船乗りになったこと、その海洋画のすべてを「国立海事博物館」に遺贈したことを述べた後、コンラッドの目に触れたと思われるエヴァレットの絵画5点
①The ‘Cutty Sark’ and a Tug(1921)
②A Convoy(1918)
③Converting a Cunarder to a Merchant Ship(1918)
④The ‘Castle Holme’ in Surrey Commercial Dock(1921)
⑤Le Croisic(1921)
を、スライドを用いて解説した。

 つづいてキース・キャラバイン博士 は、コンラッドの妻ジェッシー・コンラッド(Jessie Conrad)の1905年から1933年までの手紙23通(そのうち18通は今まで公表されていないものである)を紹介し、彼女の人となりを説明した。キャラバインがジェッシーに対して共感的であることは、彼女の手紙を朗読する調子から明らかであった。ジェッシーは、テムズ川の南に位置するキャンバーウェル(Camberwell)という労働者階級の居住する地区の出身で、夫の作家仲間からは下層中流階級特有の物言いや訛りをからかわれることもあったが、作家の妻として家庭を大事にし、夫の健康を常に気遣い、二人の息子に対してはよき母であったこと、要するに、〈良妻賢母〉であったこと、料理上手でフランス・イタリア料理にも詳しく、コンラッドの晩年の1923年から24年にかけて料理の本を出版しようとしてエリック・ピンカー(Eric Pinker:J. B. Pinkerの息子) の許に原稿を送っていたこと、夫が他界して9年後には、長男のボリス(Borys)と一年半消息が途絶えている上、ボリスの嫁が孫に会わせてくれないとこぼしていることなどなど、をキャラバインの話および彼の提示した書簡から知りえたのだった。

 研究発表は、コンラッドの短編小説の三篇「文明の前哨地点(An Outpost of Progress)」、「ドルゆえに(Because of the Dollars)」、「七つ島のフレイア(Freya of the Seven Isles)」に関するものである。このうち、チリ出身のコンラッド研究家スーザン(Susan Stringer O’Keefe)による「七つ島のフレイア」の発表は、主要な登場人物の関係を丹念に跡付け、語り手の語り口を綿密に分析したものである。彼女は、この作品は「死で終わる情熱的なロマンスの悪夢的なお伽話(a nightmarish fairy tale of a passionate romance culminating in death)」である、と言う。〈現実〉と〈幻想〉の不一致、〈悲劇性〉と〈喜劇性〉の緊張が作品全体を貫いていて、二流の作家であればぎごちないメロドラマで終わりそうな話を、コンラッドは詩的な言語を駆使して読者の心に残る話に仕立てた。語り手は、フレイアを〈女神〉であると同時に〈現実的な(down-to-earth)女〉として、逆説的に(paradoxically)描くが、実は母親不在の状況のもと、心配性で決断力の鈍い父親によって育て上げられたので、社会経験に乏しく、きわめて傷つきやすい女性である。表面上、ジャスパー(Jasper)は男らしさの典型のように見えるが、フレイアに対しては、「幸せな子供」の役に甘んじている。さらに、彼は自分およびフレイアのアイデンティティーと二人の愛をブリッグ帆船Bonito号に同化させている、など粘り強く作品と向かい合ったことの窺える発表であった。

 大会の締めくくりは、ステープ博士の講演である。博士は、G・ジャン‐オーブリー(G. Jean‐Aubry)、ジョスリン・ベインズ(Jocelyn Baines)、ノーマン・シェリー(Norman Sherry)、 フレデリック・R・カール(Frederick R. Carl)、ズジスワフ・ナイダー(Zdzisław Najder)、ジェフリー・マイヤーズ(Jeffrey Meyers)などの伝記はすべて伝記作者の時代的・民族的環境の所産であるとし、それぞれの伝記の特徴を比較検討した。さらに、インターネットの発達した現代は、ウェブサイトを利用することによって情報を得たり、連絡を取ったりすることが短時間のうちにできるようになったことに触れ、新事実のいくつかの発見をも披露した。なかでも、コンラッドが求婚したジェッシー・ジョージ(Jessie George)の職業がタイピストであるとしてきたのは間違いであり、ほんとうは、タイプライターを作る工場で働く工員で、「二本指でタイプを打つ人(a two-finger typist)」であった、との報告は興味深かった。普段は謹厳廉直な博士が、ひと仕事やり終えた解放感からか、ユーモアを連発して会場を笑いの渦に引き込み、一時間の講演はアッと言う間に終わってしまった印象である。

 かくて、三日間の大会は大いなる成果を収めて終わった。このあとは、疲れたあたまを解きほぐすべく、テムズ川の暮れなずむ流れを見ながらパブでビールを飲み、ディナーを取り、大会中に知り合った研究者と大いに語り、再会を約して散会したのであった。

 *第33年次大会のスケジュール表を知りたい方は、
www.josephconradsociety.org/2007ConferenceSchedule.pdf
をご覧ください。

 

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