Reading Joseph Conrad: The Rover

(ジョウゼフ・コンラッド『放浪者』を読む)


社本 雅信 報告

 はじめに:以下は、

 1.作品の成立事情  2.小説のあらすじ  3.登場人物のcharacterization  4.主人公ペロールに関する更なる考察

 5.『放浪者』への当時の評価  6.話し合う問題点  の順に記述をしてあります。

 1.作品の成立事情

 コンラッドの最後の完成作品で、『サスペンス』同様、ナポレオン時代を舞台にしたものである。『サスペンス』執筆中に収集した広範な資料が活かされている(ただし、オックスホード・クラシックスの注によると、アナクロニズムに陥っている箇所が数箇所ある)。『サスペンス』の執筆は、『放浪者』執筆のために先送りになった。
 原稿に記された日付から、執筆を開始したのは1921年10月のはじめであることがわかっている。執筆当初は、12000語程度の物語(「エイミー・フォスター」と同程度の長さ)をイメージしていた。12月までには、5500語しか書いていなかった。だが、物語のスケールがどんどん大きくなっていき、12月19日、コンラッドは作家代理人ピンカーに「長めの短編小説(ノヴェラ)の範囲内でできるだけこの物語(テイル)を長くするつもりである」と述べた。この段階ではこれより10年前に発表していた「プリンスローマン」といっしょに一冊の短編集にまとめる計画であった(1922年の2月までには完成させるつもりであった。2月を目標にしたのは、ピンカーの合衆国行きに合わせてのことである。「プリンスローマン」はコンラッドの死後に短編集Tales of Hearsayに収められた)。1922年のはじめの数か月は病気(マラリヤ性の痛風)が時々出たが、『放浪者』の執筆はつづけられ、このうち何箇所かは口述によりおこなわれた。筆の運びはまだ遅く、4月の終わりまでには、最初の6章分がピンカーのもとに送られただけであった。しかしその後、状況が好転し、5月、6月で、コンラッドは一気に10章分を書き上げた(全体の三分の二の量を二ヶ月で書いたことになる)。6月27日に完成を見たが、さらにおよそ三週間が加筆修正のために費やされた。
 この小説は1923年12月3日(ニューヨークでは12月1日)に、ジャン-オーブリー(G. Jean-Aubry)に捧げるかたちで、出版された(小説の主人公Jean Peyrolの名前にオーブリーへの友情を感謝する気持ちがあらわれているとされる)。出版が遅れたのは、アメリカでの連載を確実にするためであった。売り上げ好調で、英国版で四万部が出た(アメリカ版――ニューヨークのDoubleday, Page, and Companyが、限定版を11月30日に、市販版(trade edition)を12月1日に出版した。英国版――初版は、T. Fisher Unwin 社から1923年12月3日に発行された)。コンラッドの評価は、フランス、スウェーデン等ヨーロッパ諸国で高まり、コンラッド自身、『放浪者』の出版により、ノーベル賞の受賞を期待した、とされている。
 コンラッドはこの小説のはじめに『作者覚書』(Author’s Note)を付けず、代わりに、エドモンド・スペンサーの『妖精の女王』(The Faerie Queene)のDespaire(絶望)という人物の言葉、「労苦のあとの眠り、荒れ狂う波浪のあとの港 / 戦いのあとのくつろぎ、生のあとの死は大いなる喜び」を巻頭の題辞(エピグラフ)として使っている。この詩行は、『妖精の女王』の文脈では赤十字の騎士(the Red Cross Knight)に〈自死〉をうながす意味が込められているが、コンラッド自身の墓石に彫りつけられもした。

 ジャン-オーブリーは、休息をもとめて故国へ帰ってきた老船長ペロールの人物描写と、晩年を迎えたコンラッドとの関係を考えることは意義深いと言っているし、ズジスワフ・ナイダー(Zdzisław Naider)はこのことについて、

  ...this was the only book written in the closing years of his life which engaged many of the author’s deepest sentiments: his nostalgia for the Mediterranean, his dislike of revolution, and his acquired English patriotism which is in constant contrast to the austere and yet spontaneous attachment to man’s native soil shown by the novel’s French hero.
[これは作家が晩年に書いたものの中でもっとも深い感情の多くを引き付けた唯一の本である。すなわち、作家の地中海に寄せるノスタルジア、革命嫌い、この小説のフランス人の主人公が示す故国の土への厳粛な、だが自発的な愛着とは永久不変の対照をなす作家自身が後天的に獲得したイギリスへの愛国心、といったものが描きこまれている]
                                                  (ナイダー著『ジョウゼフ・コンラッド――年代記』468)
と言っている。

 2.小説のあらすじ(途中まで)

第1章~第3章
 1796年、小説の主人公ジャン・ペロール58歳がトゥーロンに到着してからジアン(Giens) 半島にあるエスカンポバール農園に落ち着くまで。エスカンポバール家の住人アルレット、カトリーヌ、セヴォーラの性格描写。

第4章
 1804年、ジャン・ペロール66歳。ペロールはエスカンポバール家を安住の地と定め「わが家」同然の生活を享受している。レアール大尉が訪れるようになって、アルレットは彼に心を寄せる。一見、平穏そうに見えるエスカンポバールに不安な影が忍び寄ってくる。
アルレットが海へ降りる崖の斜面でレアールを待っている。
丘の見張り台から向こう側にポルケロール島が海面に落とす島影が見える。しゃがむとイギリスの砲艦がみえる。艦はエステラル岬まで入り込んできていた(49)。

第5章
 ボルト中尉のエスカンポバール家を根拠にする敵側偵察計画。エスカンポバール家の雰囲気が変わったことの報告。偵察行為に同行した中尉の部下シモンズ(Sam Symons)の失踪。

 *Lord Nelson艦隊の全員は、ネルソンが敵の壊滅を目指していることがわかっていた。
 *トゥーロン港の入り口で、日夜、敵の動静を探る。フランスの船を監視し、フランス人の精神の秘密を探る力が要求されている。

第6章
 イギリス砲艦のただならぬ動きに、ペロールは緊張する。彼は農園に放たれているヤギが突然飛び跳ねたことにビクッとする。もはやペロールは幸福とはいえない精神状態にある。

第7章
 1本マスト三角帆船タータン(アルレットの両親が彼女を迎えにトゥーロンまで乗っていった舟;トゥーロンでは大勢の男女、子供が虐殺から逃れようとしてこの舟に押しかけるが、テロリストの手にかかって殺された)をペロールが入手した経緯。カトリーヌの口から、トゥーロン大虐殺の模様やアルレットがセヴォーラに連れられてエスカンポバールに帰ってきたこと、が語られる。タータンを所有したあたりから、ペロールは漁村の住民には怖い存在ではなくなっていた。村人とペロールの仲立ちをする‘the cripple’の紹介。
 ペロールは、漁村Madrague の渚に打ち捨てられた1本マスト三角帆船タータンをセヴォーラから買い取り、これを改装し、ミシェルを乗組員に雇う。

第8章
 ペロールは士官レアールが二年前からエスカンポバールへ時々顔を出すことに不安を覚え、自分をトゥーロンの司令部へ脱走兵として引き渡すつもりではないかと疑う。レアールは「あなたは死者扱いされて忘れられた存在であるから、そんな心配は無用である」という。さらに、「今回は軍務で来た、あなたはイギリス砲艦の動きをずっと観察しているし、優れた砲手でもある。砲艦が今後どの様な動きをするか、見当がついているはずだ」という。第一執政ナポレオンからの命令――敵のネルソン提督を騙す――を実行する最適の人物として、ペロールを考えていることが明かされる。ナポレオンの計略の重要性をみとめ、ペロールは一肌脱ぐことを決意する。
 トゥーロンの鎮守府へ、レアールを一旦帰らせる。

第9章
 〈小説はここから佳境に入る〉ペロールはレアールと別れた後、考えをまとめようとして、タータン船のある小さな入り江へ降りてゆく。これより14時間前、タータン船の近くをうろついていたシモンズを後から頭をぶんなぐって、船室に放り投げておいたのだったが、そのシモンズを介抱したあと、ペロールはお前の上官はこのあたりを偵察させてなにを狙っているのか、とたずねる。ここでシモンズが、海賊船で指導者として尊敬を集めたペロールの忠実な部下として働いたことのある、同じ〈沿岸の兄弟〉の一人であることが明かされる(134)。→コンラッドのイギリス人の国民性に対する理解の一端を垣間見せる。

第10章
 アルレット、レアールを待ちわびて教会へ行く。

第11章
 教会を出たアルレットは後ろを振り返ることなく、エスカンポバールへ急ぐ。 2本のオリーブの木の間に座る。〈この数年、ずっと空っぽの生活を送ってきた。どんなことにもなんの意味もなかった。〉レアール大尉、彼女を見つめる。テーブルの上に置いたアルレットの手にキスをする。
 ペロールはエスカンポバールに来たときから、常にアルレットのために存在した。実際、〈放浪者〉は大抵家の周辺で姿を見せていた。しかしこの日の午後は、ペロールすらも見かけない。アルレットは、人は牧師にいっさいを告げることができる、何でもご存知の万能の神に祈りを捧げ、慈悲、保護、情けをかけてくれるように求めることができる、と信じることを教わった。
 レアールの姿が見えないことにアルレットは不安を抱く。彼はどうなったのか(162)。セヴォーラの気色の悪いふるまい。枕に顔をうつぶせにして、何事かに腹を立てていた。

 3.登場人物のcharacterization

 ジャン・ぺロール…58歳。小説はフランス革命の歴史的転換期の1796年、トゥーロンの港ではじまる。今は海軍の砲台監守(Master-Gunner)であるが、まだ若造の頃(13歳?)フランス船籍の船から脱走し、〈沿岸の兄弟〉The Brothers of the Coastと称する結社に入り、インド洋で海賊(sea-bandit)行為を重ねたりして、45年間東洋の海を放浪してきた。喜望峰沖で拿捕した英国船を指揮してトゥーロンの港に入る。港湾局に出頭し、一定の手続きをしながら、「海洋をあちこち放浪するのに飽きた。陸で休息の期間が欲しい」(3)と述べる。……インド洋は、ぺロールが人生の辛酸をなめ人格が形成されていった場であり、人生の活躍期である。
 ペロールには父の記憶は全くなく、幼い彼を連れて農家に住み込みで働いていた母にも十二歳のときに死別した。母の死体におびえて家を飛び出したペロールは近くの海岸に停泊していたタータンにもぐりこんで眠っているうちに、そのままマルセーユに連れてゆかれてしまった。ぺロールという姓も母が雇われていた農家の姓にすぎなかった。

 〈トゥーロンからエスカンポバール農園までのぺロールの足取り〉

 トゥーロン→モザンビーク海峡、インド洋上の珊瑚礁の潟、マダガスカルの森よりもなじみのない感じのする人家のならぶ地帯→ジアン半島、轍(わだち)の跡もははっきりしない道、人家のまばらな村、人の姿もしない……世間と隔絶した地形は〈休息〉を取る場にふさわしいAll he wanted from it was a quiet nook, an obscure corner out of men’s sight where he could dig a hole unobserved(12)→高みから地中海イエール(Hyères)の沖にあるポルクロール島(the island of Porquerolles)が望める……生まれ故郷、この地にペロールの愛着をつなぎとめる何が存在したか?→ジアン半島(the Giens peninsula)の二つの入り江、その間に囲まれた潟の水は波も立たず静かである。


 Peyrol… had seen fights, massacres on land and sea, towns taken by assault by savage warriors …had killed men in attack and defence (22).忍耐強さが長所→Peyrol knew how to be patient (22). 大抵のことに驚かない彼も、子ども時代の母の死、マルセーユでジャコバン党員に捕まったこと、この二つは怖い思い出として残っている。これに比べれば、インド洋での経験――デッキが血の海で染まったこと、船上での反乱、高級船員を船外に放り投げたという経験は平穏無事な状況(plain sailing)というべきものであった。母国での革命の進展状況は、船乗り、旅行家、一年遅れの新聞などから、情報を把握していた。黄色人種のむすめに熱烈な恋をした、親友の船員仲間から裏切り行為を被った(25)。‘the homeless Peyrol’(25) . 政治嫌いI have nothing to do with politics (27) The necessities of a lawless life had taught Peyrol to be ruthless, but he had never been cruel.(35) 海賊船の船上で発生した船員同士の喧嘩で死線をさまよった経験をしたことが、彼の性格を思慮深くした(36-7)。


 1804年に時代設定されている第4章以降では、ぺロールは66歳になっている。〈石の彫像〉stone-effigy(118)のイメージで描写されている→強い意志の持ち主をひきたてる。His Roman face with its severe aspect gave him a great air of authority.(119) …his massive aspect, his deliberation suggesting a mighty force like the reposeful attitude of a lion.(146)


 人生の晩年に、インド洋でのactive life に別れを告げ、「休息」を求めて故国へ、故郷へと帰るが、フランス共和国のために命をなげうつ→‘The End of the Tether’「万策尽きて」(1902)を思わすパタンを描く。ウェイリー船長もペロールも身体頑健、晩年に最後の一働きをする。


アルレット(Arlette)
 両親は王党派に属していた。PTSDの症状を見せる。幽霊のイメージ。青白い顔、珊瑚色(淡紅色)の唇、落ち着かない目の表情。 “Have you ever carried a woman’s head on a pike?’’ /her white even teeth pressing her lower lip, her eyes never at rest/a sea-bird-not to be grasped(22)/‘not the slightest sound of her rustle or footfall had warned Peyrol of her presence. [... ]She made no sign, uttered no sound, behaved exactly as if there had been nobody in the room; and Peyrol suddenly averted his eyes from that mute and unconscious face with its roaming eyes. (29) The pure complexion of her white cheeks was set off brilliantly by her coral lips and the bands of raven-black hair only partly covered by a muslin cap trimmed with lace. (29)

 少女時代のトゥーロンの尼僧院に入っていたが、テロリストによる尼僧院の破壊行為より、三人の婦人によって助け出された。イギリス軍がトゥーロンから撤退する前の日にようやく父がアルレットの隠れ家を探し当てた、両親が殺された、両親の死骸にしがみついた、セヴォーラが手を引いて彼女を連れ出した、暴徒の気違いじみた行動など(152-3)。

セヴォーラ(Scevola Bron)
 エスカンポバール家(the Escampobar Farm)の主人(のように見える)。第3章までの1796年時点で、30歳。第4章以降の1804年時点で38歳。過激共和派(サンキュロット(sansculotte)。半島の住民たちにとっては、アルレットは恐怖と嫌悪の対象。‘ex-orator in the sections, leader of red-capped mobs, hunter of ci-devants and priests, purveyor of the guillotine, in short a blood-drinker’ (26).‘A well-made man of medium height’(26) .‘an object of fear and dislike to the inhabitants of the Giens peninsula’; ‘No villagers ever came up to the farm, or were likely to, unless perhaps in a body and animated with hostile intentions. They resented his presence in their part of the world sullenly.’(28)

 エスカンポバールに住み着いて8年後のペロールにとっては、セヴォーラは単独では目障りでも不安にさせる存在でもなくなっている。いわば、「魂」の抜け殻である。
 The fellow was so insignificant that had Peyrol in a moment of particular attention discovered that he cast no shadow, he would not have been surprised. (48)

 ジャコバン党員が活躍した時代は過去のものとなったことにはげしい憤りを感じている。
 The patriot shook his head violently. Of public news he had a horror, Everything was lost. The country was ruled by perjurers and renegades. All the patriotic virtues were dead. (80)

 She dropped her eyes and seemed to fall into deep thought, then added, “It was only later that I discovered that he was a poor creature, even quite lately. They call him ‘blood-drinker,’ do they? What of that? All the time he was afraid of his own shadow. (151)→アルレットが牧師に告げることば。セヴォーラの〈殺人鬼〉的性質は、革命の感化によるもの。

カトリーヌ(Catherine)
 ペロールと大体同じ年齢にある。姪のアルレットをセヴォーラのサディスティックな欲望から守ろうと心を砕く。娘盛りの18歳のとき、司祭との恋に破れた。思いつめて死を考えたこともあり、人との接触を極力避けた。唯一の理解者は兄(アルレットの父;フランソワ91頁)だった(89)。

レアール大尉Lieutenant Réal (Eugène Réal)
 トゥーロン司令部に勤務する若い士官。旧貴族の家に生まれ、両親をギロチンに奪われている。指物師のもとで徒弟生活を始めるが、一年で飛び出し、遠方遠征のフランス共和国の船に乗り、士官にまで出世する。しかし、そのために、愛憎の感情を押し殺した生活をしたことで、懐疑的な人生観が身につき、友情の味を知らずにいる(70-1)。‘the orphan of the Revolution’(71)。ペロールの優れた人格に接して、自身の打ち解けない性格がほだされ好印象を抱く半面、ぺロールがかつては海賊であったということにある種の軽蔑を抱いている。

ミシェル(Michel)
 ぺロールの人間の幅を示す存在。一匹の犬だけを伴侶として、海につながる潟で漁をして暮らしていた。ジャン・ペロールとはエスカンポバール家近辺ではじめて会った。犬を亡くしたあと、人生の希望をなくし、漁をやめてエスカンポバール家にペロールを訪ねる(82-3)。ペロールは、漁村Madrague の渚に打ち捨てられた1本マスト三角帆船タータン(アルレットの両親が彼女を迎えにトゥーロンまで乗っていった舟)をセヴォーラから買い取り、これを改装し、ミシェルを乗組員に雇う。

「肢体不自由者」
 小さなからだではあるが、働き者で、勇敢で、頭もよい。男性的な声の持ち主で’、世間話に女の話はしない。革命前には結婚式やにぎやかな催しでバイオリンを弾いて村人に奉仕したこともあった(93)。

(アルレットの母)
 王党派支持者であったが、トゥーロンでの王党派虐殺(ナポレオンによる英占領下のトゥーロン攻撃奪還;1793年)で命を落とした。美しい母の典型のような女で、親切で、状況把握にすぐれた判断力の持ち主(57)〔Bolt中尉の言

 〈英国人〉と〈砲艦〉

Captain Vincent
 ネルソン提督の率いる艦隊に属するコルヴェット艦〈アミーリア〉号の艦長。

Bolt中尉(Jack Bolt)
 ヴィンセントの忠実な部下。ナポレオンによる「トゥーロン攻撃」(1793)前から、またその後においても、トゥーロン近辺の王党派と親しい接触がある、王党派の根城であったエスカンポバールfarmhouseの夫婦ときわめて良好な関係にあった〔中尉自身のことば〕。エスカンポバールは、(1804年の)今も何も変わっているはずがないから、簡単にそこに入っていける。エスカンポバールfarmhouseで生活しながらトゥーロン港におけるフランス側の動きを探らせてくれと艦長に申し出る。

アミーリア号
 もともとフランス製でフランス籍の船であるが英国艦隊により、ジェノア港でとられた(captured)。ペロールがトゥーロンに帰ってきたときフランスの三色旗がなびいていて、愛国心をかきたてられたこともあって、エスカンポバールからこの砲艦を見ると、ふつふつと怒りがこみ上げてきたようである(117-8)。

 4.主人公ペロールについての更なる考察(途中まで)

 エスカンポバール家の、ペロールにあてがわれた屋根裏部屋(attic)――[灯台]のイメージ

 this large attic with its three windows commanded on one side the view of Hyères roadstead on the first plan, with further blue undulations of the coast as far as Fréjus; and on the other the vast semicircle of barren high hills, broken by the entrance to Toulon harbour guarded by forts and batteries … “Its like being in a lighthouse,” said Peyrol. “Not a bad place for a seaman to live in.”(30)

 Whatever enchantment Peyrol had known in his wanderings it had never been so remote from all thoughts of strife and death, so full of smiling security, making all his past appear to him like a chain of lurid days and sultry nights. He thought he would never want to get away from it, as though he had obscurely felt that his old rover’s soul had been always rooted there. Yes, this was the place for him ; not because expediency dictated, but simply because his instinct of rest had found its home at last. (31)

 I always thought I would like to live in a lighthouse when I got tired of roving about the seas. (33)

ペロールのユニークな特質
 人格陶冶と教育の場は、海賊船で行われた。たくさんの国籍の船乗り(イタリア人、イギリス人など)と共同生活を送ったことは、彼のコスモポリタンな思考を涵養した。
 生涯を平和のうちに閉じることを唯一の念願としながら、敵国軍を誤導する仕事に巻き込まれ、この仕事に自分の命を捧げる。その場しのぎの行為は許されない緊急の事態が発生したときに立派に対処する。そして死に至るまで自分の忠誠は守り通すのである。

ペロールのアルレットに対する父親的な愛情
 This one was a lovable creature. She produced on him the effect of a child, aroused a kind of intimate emotion which he had not known before to exist by itself in a man. He was startled by its detached character. “Is it that I am getting old?” he asked himself suddenly one evening, as he sat on the bench against the wall looking straight before him, after she had crossed his line of sight. (88)

革命の(悪い)余波
 There were no priests to officiate at weddings, and if there were no ceremonies how could there be rejoicings? Of course children were born as before, but there were no christenings ――and people got to look funny somehow or other. Their countenances got changed somehow; the very boys and girls seemed to have something on their minds. (Ⅶ,94) →the crippleの語る話にコンラッドの革命への反感が感じられる。

ナポレオン(第一執政)のトゥーロン鎮守府への命令
 現在トゥーロン港で艤装が進行しているフランス艦隊は、艤装の終わりしだいエジプトから東洋方面に向かって出港するものと思わせるような贋の公文書を作り、それを携えた小舟をナポリに向かわせる、そしてわざとイギリス艦隊につかまることによって、敵の警戒網を東方に移動させる。

 The order ran like this: “You will make up a packet of dispatches and pretended private letters as if from officers, containing a clear statement besides hints calculated to convince the enemy that the destination of the fleet now fitting in Toulon is for Egypt and generally for the East. That packet you will send by sea in some small craft to Naples, taking care that the vessel shall fall into the enemy’s hands.”(Ⅷ,113)

 5.『放浪者』への当時の評価

 ナイダー(Najder)はこの小説が大衆にはもてはやされたが、評論家の意見は冷たく批判的であったという。

 The reception given The Rover was, all in all, the reverse of how Conrad’s books had been received twenty-five or fifteen years earlier: now popular acclaim and sales were high, while the voices of the reviewers were cool and censorious.
                                                (ナイダー著『ジョウゼフ・コンラッド――年代記』485)

 しかし、事実は、評論家による評価は二極化の様相を呈した。
 The Manchester Guardian (3 December 1923) praised the narrative as ‘as fast and a bare as the wind’.

 The Times Literary Supplement (6 December 1923) ……Mr. Conrad, certainly, has written greater things than this; but among his recent books it stands out for the speed of movement, and not less for the impress of its truth to human nature.

 The Glasgow Evening News (6 December 1923) ……‘a disappointment’

 Nation and Athenaeum (8 December 1923)……‘melodramatic’

 The New Statesman (15 December 1923)……‘downright bad’&‘contact with [Conrad’s ]mind does not seem to me a delight in itself’

 6.Topics to be discussed:

 1.What do you think about the love triangle between Arlette, Peyrol and Réal?
 And what about the love triangle between Sevola, Arlette and Réal?

 2.What is the motive for Peyrol’s suicidal self-sacrifice?
 Do you think his noble deeds were appreciated by Arlette and Réal ?

 3.How far do you think Peyrol is Conrad’s other self?

 4.We can find a lot of expressions in the work borrowed from the Bible?
 Does this testify to Conrad’s firm belief in Christianity?

 5.It would be advisable for you to read pp. 325-27 (letter to Edward Garnett on 4 December, 1923) and p.344 (letter to F. N. Doubleday on 2 June, 1923) in G. Jean-Aubry:Joseph Conrad Life & Letters (Volume Two). Shall we compare notes and ideas on Conrad’s assessment of his own work?

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