Lord Jimにおける語り上の「断絶」が生むもの

社本 雅信 記

 Lord Jimは、プロットといい語りといい複雑な構造をそなえたモダニズム小説である。
すなわち、

1. 三種類の語り手の存在(全知の語り手、マーロウ、マーロウの聞き手たち)は、読者に主体的読みをもとめ、ジムの成功の意味合いを
  再考させる。

2. パトナ号での不名誉を挽回する場としてのPatusanが、ジムにどのように機能したか。
  現地住民のジムへの無批判な信頼、混血の少女Jewelが「ジムはblindです」という評価、悪漢Gentleman Brown の「俺は仲間を
  見捨てては逃げないぞ! 貴様は翼をもって飛び回りやがて!」という言葉、マーロウの観察などを手がかりにして、読者は必然的に
  自分自身の解釈を持つことを迫られる。

3. マーロウの語りには、《意識の流れ》の要素が強い。
  イアン・ワットは、「Joseph Conrad はVirginia WoolfやJames Joyceの先駆者である」と述べる。


 小説前半ではジムの英雄幻想に対するパロディ化が顕著であるが、この点は小説後半においても同様である。
 Najderは「Lord Jimはビルドゥングスロマン(教養小説)である」という読み方を提示するが、それは疑問である。
 ジムのPatusanにおける成功には脆さが内包されている。


@ジムはPatusanにおいても己の英雄幻想から離れられず、成長もしていない。

Aジムは現地の住民から距離を保ち、白人性を脱却しきれていない。

Bジムは個人主義的な生き方に忠実ではあったが、The Nigger of the “Narcissus” 中の、
 特にシングルトンが表象する原始共同体的価値観、集団的価値観に忠実であったとはいえない。


伊村大樹さんの手際よい司会のもとで、田中和也(大阪大学大学院博士課程)さんの発表が進行した。
発表のあと、参加者各自から、発表内容を巡っての質疑応答と活発な議論が展開された。

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